またまた、いつもの”凝り性”という名の病気が発症した。蕎麦、ボルドーに続き、今回は”ブルゴーニュ病”である。その潜伏期間の長さにおいて、このたびの病は、蕎麦やボルドーのようにインフルエンザ的に発症したのではなく、まるでエイズのように長い(といっても一年半だが)雌伏の時を経て顔をだしたのである。
発症のきっかけになったのがこの本である。先日、パリに滞在中に頻繁にブルゴーニュをほのめかす事柄が起き、帰国してすぐに”アマゾン”からこの本を取り寄せ、読み始めたら止まらず、気がついたらすっかりブルゴーニュ・ワインに魅了されてしまっていた。やれやれ、今年はせっせと貯蓄に励もうと思っていたのに先が思いやられるワイ。
第一弾は”ニュイ・サン・ジョルジュ”に彗星のごとく現れたファビエンヌ・ボニーが率いる”ドメーヌ・ジャン・ポール・ボニー”を代表するニュイ・サン・ジョルジュの村名ワイン、”ニュイ・サン・ジョルジュ レ・ダモード”から始めることにしたい。(5490円 ワインショップまるやま)
”ニュイ・サン・ジョルジュ”はブルゴーニュ地方の中心地ディジョンとブルゴーニュ・ワインのメッカであるボーヌのほぼ中間にあり、グラン・クリュをもたない地域で、ボクのような素人からすれば”パッとしないところ”といったイメージを抱いてしまう。
彼女が”ドメーヌ・ジャン・ポール・ボニー”の現当主である。彼女の父であるジャン・ポール・ボニーが1963年に創業し、彼女も後を継ぐべくブルゴーニュ大学で醸造学を学んだが、2001年にジャン・ポールが急逝したために、まだ若い彼女が急遽、後を継ぐことになった。
彼女はふたつの画期的な変革を実行に移した。
ひとつめは、父の代にはそのほとんどをネゴシアンに販売していたワインを、2000年ミレジムより本格的に自社瓶詰めに切り替えたこと。
そしてふたつめは、ぶどう栽培に徹底的にリュット・レゾネを導入したことである。”リュット・レゾネ”とは有機栽培に近い自然な耕作方法で、どうしても必要な場合に限り、化学肥料や農薬を最小限度で使用することである。
今日はそのフラッグシップ・ワインである”ニュイ・サン・ジョルジュ レ・ダモード”(2006年ミレジメ・・・かなり早いけど)を抜栓することにした。(”レ・ダモード”はニュイ・サン・ジョルジュの北側にあり、そこはかの”ヴォーヌ・ロマネ”と隣接しているという。だから、ワインの傾向もボーヌ・ロマネに似ているそうだ。)
色は薄い赤にヴァイオレットを混ぜた、とてもセクシーな色である。ボルドーではお目にかかったことがない色かもしれない。
香りはブーケの香りがとてもつよく、うっとりするほどだ。
さて、テイスティングしてみると、口の中にふわーっとブーケの香りが広がり、そのあとにスパイシーな味(これがいわゆる”ミネラルの味”というのだろうか?)がやってくる。続いてなんだか牧場で香ってくる香りが鼻を抜ける。決していやな香りではないが・・・そうそう、藁のような香りだ。もしかするとこれが”土の香り”とワイン専門家に呼ばれているものなのだろうか?
(*注1)もうすこし重いワインだと思っていたが、サラリとしており、かつ、なめらかである。(ファビエンヌのことを想像しながら飲んだのでそう感じたからかも?)
余韻は細く長い、とワインガイドに書いてあったが、なるほど、確かに、ほそ~く、なが~い。白糸の滝のようだ。(かな?)
あと数年、寝かせたらどんなワインになるんだろう?もう2~3本注文してみよう。
(*注1) あとで調べてわかったことだが、これはいくつかあるビオ臭のうちのひとつで「馬小屋臭い」と表現されるものかもしれない。これはブレタノミセス菌によるものだそうで、人体には影響がないという。
今日はこのワインを8割がた飲み、あとはシャルドネ種の1000円ワインをグラスに2杯飲んだ。いつもだったら、かなり酔っ払い、頭が少しふらつくのだが、今日は体がほんわかとし、気分爽快である。北野たけしが「高いワインを飲むと、あまり酔わないし、次の日も残らない」と言っていたが、確かにそうだ!とうなずける。もっとも彼のいう”高い”はボクのそれよりもゼロが1つ、あるいは2つは多いだろうけど・・・。
翌日はまるで”きのうは休肝日だったの?”ってくらい調子が良い。・・・やはり1000円ワインとはこの際、決別すべきなのだろう・・・前途多難だ。(←禁酒すればいいじゃないのよ!)
ワインのオトモはブルゴーニュ名物の”コック・オー・ヴァン”。ワインとの相性はばっちりであった。美味しかったけど、あと1~2時間は煮込んだ方がまったりするんじゃないかな。あと、にんにくの量をもっと(倍くらい)増やしたら、さらに美味しくなったと思う。
前菜はスペイン料理の”エンサラディージャ・ルッサ”と芽キャベツのオリーブオイル・ソテー。芽キャベツの美味しい季節になってきた。バンザイ!
ということで新シリーズが始まりました。いつまで続くことやら・・・。(熱しやすく冷めやすい超B型おやぢなんでね)
超久しぶりにピコさんの:
<晦庵 河道屋 本店 (京都/蕎麦)>にトラックバックです。デヘ!
京都では東西が河原町通と烏丸通、南北が四条通と御池通に囲まれたこの一帯が好きだ。織田信長が明智光秀に殺された本能寺などの歴史的スポットがたくさんあるのも魅力だし、なんたって美味しそうな食べ物屋が所狭しと軒を連ねているからだ。
この界隈にお蕎麦が美味しいと聞いていた「晦庵 河道屋 本店」がある。昨年の9月のとある日の昼過ぎに訪問した。
注文は740円のざるそば。蕎麦はボクがイメージする「京都」を感じさせるもので、とても「ゆったり」とした、優しい味である。江戸の蕎麦のように噛まずに、一気に呑み込むように食べるのではなく、少しずつゆっくりと流れゆく「京時間」を感じながら食べる、そんな蕎麦なのである。
蕎麦ともり汁との相性はそれほど良いとは思えないが、そんなことはどうでもよくなってしまうほどの蕎麦であった。
ひとりで外食すると周囲のお客さんの会話が耳に入ってくる。ボクのすぐうしろの4人組はおそらく京都生まれ、京都育ちの方々と思われ、流暢な京都弁を話していた。(って、あたりまえだが)
で、あることに気づいた。京都に限らず関西の人は、例えば「木」を「き」ではなく「きぃ」と発音する。「そうです」も「そうどすぅ」となる。これはなんでなんだろうと疑問を持った。
東京に帰って調べてみたら、ある学説として、縄文時代には近畿を中心として南方から移住してきた民族が住んでおり、彼らの言語は母音で終わる言語を話していたという。専門家はこのような言葉を「開音節」と呼び、反対に子音で終わる単語を「閉音節」というが、その後、大陸から朝鮮民族や女真族が大挙、海を越えて日本に移住し、いわゆる弥生時代になる。彼らの言語はそのほとんどが子音で終わるそうで、先住民族の話していた「開音節」とこの「閉音節」とが互いに影響しあって、日本語の原型ができたという。
ところが、先住の南方系民族の言語をかたくなに守っていた、というよりもむしろ征服民族の言語になかなか馴染めなかった関西のグループがおり、それが現在まで尾を引いており、「き」ではなく「きぃ」なのだという。なかなか面白い学説である。
ひとりで旅しているとこんな発見があるので面白い。
蕎麦「晦庵 河道屋 本店」(京都市):http://www.digistyle-kyoto.com/gourmet/eat/nabe/kawamichiya.html
グルメ番組 in 宮崎で石塚英彦さんが食べていた「にくまき」を、宮崎に行ったら絶対に食べてやる!と意気込んでいた。
宮崎空港でレンタカーを借り、石ちゃん絶賛の店のこの店に真っ先に向かった。そして、鼻息も荒く1つ買い求め、写真を撮る時間ももどかしく、ガブリ!と齧りついた。
これが夢にまで見た肉巻き!食べたら死んでもよいというのはオオゲサだけど、まあ破産くらいはしてもよいと思ってきた肉巻き!・・・これもかなりオオゲサだけど、1万くらいはすられてもよいと思ってきた肉巻き!あはぁ~さいこーに旨い!となるのが長いこと描いてきたシナリオであった。
なのに、思い描いていた味とはまったくの別物だった。
肉はボクの嫌いな豚肉だ。肉巻きといったら牛肉だと思い描いていたのに、豚肉なのだ。関西では「肉」といったら豚肉ではなく牛肉である。だからわざわざ「肉饅」と言わずに「豚饅」と呼んでいるではないか!肉巻きは、だから、牛肉じゃなきゃいけないのだ。
まあ、それは当方の勝手なる思い込みだということで、許すことにしよう。許せないのは肉巻きの味付けだ。店頭には「秘伝のタレ」を使っていると書いてあったが、こんなタレだったらボクでも作れるんじゃないかというほど単純な味。深みもコクもあったもんじゃない。
踏まれたり蹴られたりの肉巻き君ではあるが、ひとつだけ素晴らしいところを発見した、というか発見してあげた。それは「巻き方」である。ご飯を豚肉がしっかりと包んであり、どこから見てもご飯がはみ出ているなんてことはない。かといって豚肉が余っているわけでもない。
すなわち、
おにぎりの表面積=豚肉の内側の面積
という等式が成立することになる。これだけの計算をやってのけるこの会社は、そろそろ商売の鞍替えを考えたほうがいいかもね。
ネタ切れのために、ドーデモイイ記事を書いてみましたー。
今まで食べてきた”地鶏”は味も素っ気もなく、顎の筋肉がイカレテしまうほどの歯ごたえのあるものであった。それが世間では「うまい!」ともてはやされているものだと思ってきた。
でも、そんなに旨いのであったら、もっと味がするはずだし、ここまでカチカチであるはずはない。もしかすると「なんちゃって地鶏」を食べさせられたきたのではないか?・・・・・
宮崎に出かけた時に、そんな疑問を晴らす機会に恵まれた。選んだ店は、宮崎に詳しい人に教わった地鶏料理専門店である。
「胸肉のたたき」。鶏肉のレアはあまり好みではない。それでもメニューに「大人気」と書かれていたので、郷に入っては郷に従え精神で注文。鶏肉自体の味はほとんど感じられない。生の部分が多いのでなかなか噛み切れない。で、飲んだ。(笑)なんの感動もなし。経験値が1ポイントアップしたくらいかな。
「もも肉の炭火焼」。豪快な宮崎スタイルで焼き上げたものである。香りはとてもよい。口に入れて噛むこと十数回・・・鶏肉の味はほんのりするものの、歯ごたえありすぎ。で、十分に咀嚼する前に顎が疲れ、これも飲んだ。
「手羽先の炭火焼」。歯ごたえはあるものの、噛み切れないほどではない。味はそこらへんにある焼き鳥屋のものとほとんど同じ。
「もも肉の焼き鳥」。これもカチカチ&味わい少々。で、飲んだ。
芋焼酎がいちばん美味しかった。って、地鶏と比較できるもんじゃないけれど。で、これも呑んだ。(←あたりまえでしょ!)
。。。。。数ヵ月後、テレビのニュースで鶏肉の偽装問題を報じていた。曰く、「比内鶏の廃鶏を地鶏と偽って出荷していた」と。廃鶏とは採卵期間を終えて鶏舎から出される廃棄用の雌鶏のことである。
テレビのワイドショーを見ていたら、あるコメンテーターがこの問題をとりあげて「ほんものの地鶏は廃鶏のように歯ごたえがあるものではない」とコメントしていた。
もしかして、地鶏の本場で・・・・・・なんてことは考えたくはない。
やっと時差ボケ~ふらふら~状態から脱出できたので、”旅の想い出”シリーズを再開したい。今日は鰻の話。
ボクの家の近くに鰻屋があった。家族ぐるみの付き合いをしていたんので、成人するまでこの店以外で鰻の蒲焼を食べたことはなかった。ここの蒲焼はいわゆる関西風で、蒸さずにカリッと焼き上げてあり、これがあるときまでボクにとっての蒲焼のスタンダードであった。
ところが、大学時代の「あるとき」、鰻好きの友人に連れて行ってもらった高田馬場の鰻屋で、ボクのスタンダードはみごとに突き崩されてしまったのである。その蒲焼は口の中でとろけ、それがご飯と渾然一体となった旨さは今でもはっきりと脳裏に焼き付けられている。それ以来、近所の鰻屋の蒲焼を食べても美味しいとは感じられず、いつのまにかその蒲焼を敬遠するようになってしまった。言うまでもないが、高田馬場で食べた蒲焼は関東風である。
幸いというべきか、東京には関西風の鰻の蒲焼を出す鰻屋はほとんどないし、たまに関西方面に出かけたときも鰻の蒲焼を好んで食べることもなかったので、それからうん十年の間というもの関東風のふんわり&とろける蒲焼に何度も舌鼓を打ってきた。
あれは2年前の夏。東海道五十三次を歩いているときに立ち寄った鰻屋「あつた蓬莱軒」で久しぶりに関西風の表面カリカリ&適度な歯ごたえの蒲焼に出会った。ひと口食べたときに、子供のころ食べた蒲焼を思い出し「しまった!」と思ったが、なんのこたぁない、噛み進むにつれてその旨みが感じられ、知らぬ間にその魅力にすっかりとりつかれてしまっていた。
さて、本題に入る。
宮崎県は鰻の生産量が全国で3位だそうだ。西都市は美味しい蒲焼を食べさせる鰻屋がたくさんあるという情報を新宿にある「宮崎館 KONNE」の観光担当の方から聞いた。宮崎に住む友人を尋ねた帰りに西都の「本部 うなぎ屋」で鰻重を食べた。
注文は呉汁がついた鰻重「特」(2500円)。待つこと20分・・・まだ出てこない・・・店内は半分ほどの埋まり具合なので10分くらいで出てくると思っていたのに・・・さらに20分・・・ボクよりも先に入ったお客さんもまだ食べていない。あと10分くらいか・・・・・さらに20分、合計1時間ほど経ったころやっと目当ての鰻重が登場。
歯ごたえがかなりある。なのに脂っこさはなく、旨みが凝縮されている。表面のオコゲが香ばしく、これなら1時間も待たされた甲斐があるといってもいいだろう。洗足にある「川京」が閉店してから関東風の蒲焼を外で食べることが皆無になってしまったが、もしも東京のどこかの鰻屋でふんわり、とろんとろんの蒲焼を食べたら「あじけなくて、こんなもん、くえねぇ~!!」なーんてことになってしまうかもしれない。
鰻料理「本部 うなぎ屋」(宮崎県西都市):http://www.fgnet.jp/honbu-unagi/