女房がケーキ教室にいってしまったので、昼飯は昨日の残りの「皿うどん」
この麺はうどんとはぜんぜん似ていないのになんで「うどん」の名前を冠するのか前から不思議であった。
「皿うどん」は長崎の中国人が始めたものだそうだが、彼らは麺類に対してすべて「うどん」という呼称を用いたのであろうか・・・・・
私の家族は皿うどんの出来立て、すなわち麺がパリパリな状態で食べるのが好きなようである。
ほとんどの人はこの歯ごたえを楽しむものであろうと思う。
だが、私の食べ方はこれとは異なる。
麺が十分に餡の液体を吸収しきってしまうまで待つのである。
そうすると麺の中心部はちょっとだけ芯を残し、外側部分はぶよぶよにふやけた感じになり、この両者の歯ごたえのバランスがたまらなく旨く感じるのだ。
この食べ方を家族の皆は肯んずることはない、むしろどちらかといえばこれを蔑む。
特に女房は「あー、せっかくの麺がもったいない!」などとほざく。
私からすれば、女房の食べ方こそ「あはぁー、もったいない!」なのだが・・・・・
余談ながら、子供の頃はインスタントラーメンでもこの方法による摂取を常としていた。
スープがなくなるまで待って、ふにゃふにゃの麺を食べることに快感を覚えていた。
麺はラーメンに限らず出来立てを食べるのがいちばん旨い、と巷間言われていることを知るに及びこの方法の選択を断念したが、こと皿うどんに関しては強情にもこの方法に固執しているのである。
女房手作りの「フリュイ・カクテル・ショートケーキ」である。
フランス語と英語がごっちゃになった名前だが、とても旨かった。